向日葵や国境守る兵若き はるみ

ドイツのノイシェバインスタイン城に2度ほど夫の車の運転で行ったことがある。その裏の鬱蒼とした森のなかに、小さくて簡素な国境があった。私たちの通った時には暗いしめった森に、太い道を閉鎖する木のゲートが開いていて、国境を守る兵士はいなかっったが、すぐ近くの城主が身を投げて自死した沼のような池が引き込まれそうに暗くて怖かった。
一方、オーストリアからスイスへの国境は、草いきれのする牧草の広がった明るい道路で、警備が殊の外ものものしく、まだ若い兵士が銃を手に数人いて、きびきびと検査の任に当たっていた。車のシートを外させたり、トランクの入念なチェックをしていた。麻薬などの取締りだと云う。親子4人連れの私達は何も咎められなかったけれど、シートを外された車に子供たちは興味しんしんだった。
今ヨーロッパ諸国は一つの経済圏となり、国境のチェックがなくなった。昔、列車に乗っていて国境を越えると車掌さんがパスポートのチェックに来たのが懐かしい。

山裾の駅舎眠たし桐の花 はるみ

軽井沢の野鳥の森の中に、昔から天然の湧き水で出来た池がある。冬はスケート場になって、土地の子どもたちが遊んでいたらしい。それが、数年前に人工の手を加えて素敵なスケート場になった。10メートルはある池の土をすくい、新しい土を入れて電線を通した。今は観光地図にも載っている。
うちの子供達は滑りに行ったことがあるらしいけれど、私が今さらスケートをする訳もなく、その事は忘れるていた。
ところが、 この間野鳥の森に散歩に出かけて偶然その池に出た。
池は真っ青な空を映し、真っ白な雲を浮かべ, 花が咲き、鳥が鳴き、アリスの国のよう。
おたまじゃくしが泳いでいると思って見ていたら、小さな立て札があり、道をカエルが通ります。とある。みていると、生まれたばかりのカエルが横断中。
ちっちゃいなーと覗いていたら、小学校3年生ぐらいの男の子がとなりにきて、「あのね、さっき僕、こーんな大きなカエル見たんだよ」とてのひらを大きく開いて言う。「あ、それヒキガエルじゃない?」というと、彼はきっぱりと「違うよカエルの王様だよ」と答えた。
初夏の高原で、カエルの王様に会うなんて、誰にでもある事とは思えない。

賑やかに別れて淋し蛍狩 はるみ

その夜は親しい誰かれを誘って等々力渓谷の蛍狩に出かけた。何処かで飼育された蛍と聞いていたが、昼間の緑滴る渓谷とは違って、無数の光がもつれ飛ぶ様子は、やはり目を奪われるものがあった。みなしばらくは、無言でその光景を忘れまいと、一心に見ていた。
その夜、寄った甘味処で着なれない浴衣のせいなのか、みんな少し高揚していて、ある友人は故郷の祖母の家のそばの蛍について語部のように熱く語り、故郷のない私達はその話を傾聴した。ちょうど友人の兄のグループと出会ったので、その噂などもして、楽しい一夜だった。
そのわずか数日後の学期末、仲良しが前触れもなく不意に転校した。父の仕事の都合ときいたけれど、蛍狩の夜は何も言わなかったのに、としばらく思い続けた。
それ以来、蛍狩によらず、楽しい事の後には何か起こリそうな気がしてならない。

逢はざれば青年のまま遠郭公  はるみ

 ある年齢になると、同期会が毎年あるようになる。理由はリタイアして時間ができたとか、子育てが一段落したとか様々。とにかく若き日の知人、友人に再会したくなる。会えば過ぎ去った時間が嘘のように、話がはずみ別れがたい。幼名で呼び合い、気取りのない会話のなんと楽しいことか。
 時々、恩師と同級生を間違える時もあるけれど、自分が素であった頃の友達は、何ものにも変えがたい。
 さて、当然ながらお互いに歳を重ねているので、それなりに変容しているけれど、笑顔や話し方に昔の面影が見えて、しかも重ねてきた年月が良い味わいを出している。
 以前、「若き日の夫に逢たる昼寝かな」という俳句を作ったことも。
                                     
       
     
    
    
    
    
    
    
      
    
      

      
 
 

手の届くところに書棚灯涼し  はるみ

 木下夕爾の詩集と句集を大切に硝子戸のついた本棚にしまっていた。けれど、ふと考えてみると、あちらの世界にお引越しをする日もそう遠くはないし、すぐ手の届く書棚に移した。すると、手にする機会が増え、夕爾の手作りのインクはどんな色かしら、などと考えたりする。
 私は明るいブルーが好きだけれど、明るいなどというのも、主観だから、どうだろうか。紫陽花の季節、様々なブルーに思いを馳せてみる。

 もらはれてすぐ寝る仔犬花ミモザ  はるみ

 娘の家に雑種の仔犬がきてから、あっという間に10ヶ月ほどがたち、ZENとは名付けられた彼はみるみる我が家族のスターになった。
 犬の場合、大きくなったからと言って家事を手伝ったり、庭の落ち葉を掃いたりはしない。もっぱら、野沢温泉のすきー場を子供たちのスノーボードと一緒に走り回ったり、田舎の家の近くの森を歩いて身体を鍛え、ぐっすり寝るぐらい。
 一方、ふたりの娘の子供たちは、すっかり大きくなって、5人とも田舎の家では暮らしをまわす力強いメンバーになっている。食事こそ作らないけれど、部屋や風呂場のクリーニング。食事の後片付けなど。きびきびと働く。娘たちは私より大分、子育てが上手かも知れない。
 ところで、食事の後片付けは夫も加わる。
 ある日、次女の当時12歳の長男と夫のチームが食器を洗っていたときのこと、夫が洗って、K君が拭く担当だった。夫のすすぎ方が悪かったのか、「おじいちゃま、泡が残っている」と数回注意された夫が、笑いながら、「里に帰らせていただきます」といった。ところが、「。。。、、、」彼から何の反応もない。
 夫は折角言った冗談が通じなくて、昔の日本の嫁に行く、という習慣から、お嫁さんのつらい立場、それが耐えられないときの、「里に帰らせて頂きます」までを説明するはめになった。
 「ふーん。そうか」といいつつも、男の子で、しかも半分アメリカ人の彼にはいまいち頷けない様子で、夫と私には可笑しく楽しい夕食後だった。