ままごとの母わがままや赤のまま はるみ

先日、娘夫婦の友人と田舎の週末を一緒に過ごす機会があった。そのお嬢さんが2歳で可愛い盛り。木の積み木をしていたので、隣で見ていたら、「これ、一緒にしていいのよ」と誘ってくれる。まんまるの目や長い睫毛が天使のようで、12歳の孫娘もみんなもすっかり夢中になっていた。
すると、飼犬のゼン君が積み木のところにやってきて、さり気なく崩して行く。「あれ、皆さん、この間まで僕が一番だったんじゃないのですか。」といいたそう。2歳も飼犬も愛されているもの独特の、人はみんな私に優しいという思い込みがあるらしい。
ある日電車の中で、本を読んでいたら、隣から親子の明るい朗読の声がきこえた。「ネズミ君のチョッキ」というお話で小さなネズミ君のチョッキが回り回って、伸びに伸びて、最後はゾウさんが着るお話。ふと見ると、2人は本の朗読をしているのではなくて、暗記している程大好きな本を、1行ずつ代わりばんこに言っていた。
なんて幸せな風景に隣り合わせたことか、私がそれを読み聞かせた遠い日々が蘇った。

二人では行けぬ彼岸や秋の虹 はるみ

最近玄関に小さな鏡をかけた。訳は、ある日のこと、夫が「行ってきます」私が「行ってらっしゃい」とやり取りの後、夫をふりかえると、何と夫の鼻にテープが付いている。鼻腔拡張テープというもの。安眠のためのテープらしい。「え、そのまま行くの?」「そのままって?」と、夫は気付かぬ様子である。
私の人生の予定では、我が家では私が一足さきに彼の世に行くことになっている。もし、私なき後、夫が鼻テープを付けて外出したら、たいへんである。ひと
人なかで、クスクスと笑いものになるかと思えば、彼の世にいる私は安眠すら出来ない。そこで、鏡を掛けた次第。

友の旅こたびは長し鰯雲 はるみ

昔はあの人を近頃見かけないな、と思うとパリやら、ローマやらに旅行していた。そして、帰国後の旅の話はおかしい事も、失敗した事も、聞くだけで旅の楽しみのお裾わけを頂いたようで、幸せな気持ちになれた。
そう言う自分たちの旅も夕焼の美しさにひかれて、遠回りをしてしまったり、夕方になったのにホテルが見つからなかったり、予定があるような、ないような旅の日々をすごしていたように思う。
さらに、若い頃は時間がゆっくりと流れて、夏休みも途方もなく長く、山の家で花や虫を見ていたと思えば、同じ夏に海月に刺されて、脚が腫れ上がったので、なんとか全集を読み、それでも夏休みは終わらず、いとこの家に泊まり、といった夏もあった。
今、春も夏もスケジュールをこなしているうちに、矢のような速さで後ろに流れさる。
そして、大切な友人さえも、近頃はついこの間、一緒に食事をしたのに、何故、彼の世へ、ということが時々ある。もちろん、いづれ遅かれ早かれ、みんな必ず彼の世に行くのだけれど、ちょっとパリに行ってたのよ。と言うわけにはいかないだろうか。

八月の相語りゐる遺影かな はるみ

今年の台風は気ままにやってきて、家や学校、農家の大切な作物を台無しにしていく。今夜も13号というのが本州に上陸するらしい。庭の花々も明日か明後日ひらく蕾がたくさんあるけれど、きっと明日は倒れた花や小枝の後片付けに追われることと思う。
これが農家の作物や果樹園の桃や葡萄と思うと、どんなにやりきれない思いがするだろうか。ニュースで見ていても、残念で腹立たしい様子が見て取れて、何の力にもなれないのにやきもきしてしまう。
そんな嵐の前触れの中、ふと思いついいて、中学やら高校やらの同級生とお茶の時間を持つ事が出来た。変わりなく元氣なことを確認しただけれど、友人が元氣というだけで、穏やかな気持ちになれる。
そして急に無言館の絵のことを思い出した。無言館に行くと、いつも胸の詰まるような思いで出て来るが、もし、あの絵に描かれた少女や青年、家族が無言館の中で語り合っていたら、そんな事をふと思うのも、台風の前触れの樹々の騒めきのせいかも知れない。

新涼の糊きかせたる枕かな はるみ

まだ7月の終わりだというのに、庭のななかまどの梢が色づき始めた。台風の前触れの雨が樹々の様々な緑に白い雨を降らせている。辛夷の繁りが時々揺れて、小鳥の青い尾がみえる。
毎年思う事だけれど、夏の初め、伸び続けていた草がこの頃から急に静かに柔らかくなる。草の伸びる勢いにうんざりしていた筈なのに、「もう、いいの?」と言いたいぐらいに、伸びるのをやめてしまう。夜中に暖房を入れたりするのもこの頃から。秋が忍び足で、すぐそこまで確かに来ているらしい。
そのかわり、小鳥の明方の囀りが可愛いを通り越して少し煩いほど賑やかになる。予定では、休日ゆっくり寝ている筈だったのに、早起きの鳥の声に目覚め、思いがけない早朝の散歩をしたりする。肩がブラウスだけでは寒い。林の中に秋がもう育ち始めているのだ。
そんなある朝の事、林の中を散歩していると、日本羚羊の親子に出会った。私たちと羚羊はしばらく見つめ合った後、まず、羚羊の子どもが林の中に走り去り、続いて親が反対の林に消えた。
動物に詳しい人に教えて貰いたい。なぜ、反対の林に消えたのか。あの子どもはどの位で親の大きさになるのか。ネットでなく、出来れば森の番人のようなお爺さんに。

海に向くホテルの小部屋明易し はるみ

四方を海に囲まれたオランダの旅が忘れられない。日本も島国だけれど、小さな島が海より低い国というのが中々納得出来なかった。アムステルダムを離れて田舎の方に行った時のこと、行きたい島が地図の上ではすぐ目の前にあるのに、周りの運河に橋が見つけられない。え、この国の人達はどうやって、目の前の島というか、陸地に行くのだろう。呑気ものの私達も良い方法が見つけられず、焦ってしまった。水は美しく、そよ風は薫風と呼ぶにふさわしいけれど、夕方迄にホテルにも戻りたい。
途方に暮れていても仕方がないので、村をぐるぐる回り、若者が集まっているところへ聞きにいった。すると、一人の若者が自分の車に乗り、「ついておいで」という。
私達の車のナビゲーターになってくれるらしい。農家の様な不思議な町並みを曲がると、岸辺で止まった。
そこだよ、という手の先を見ると小振りの船が止まっている。
それは、車が1台だけ乗れるフエリーだった。髭のおじさんがにこにこして車を誘導してくれ50メートル程の運河を渡してくれた。値段は当時100円ほど。
近頃、街に外国人が溢れ道を聞かれることが良くある。そんな時この事を思い出して時間があれば、交差点まで案内する様にしている。

端居して松の枝ぶり見てゐたる はるみ

夫の好きなものは今のところ、C家の飼い犬のZ君と庭のハンモックらしい。昨日、気持よく晴れた青空にハンモックの上で一休みしようとしたら、ハンモックが真ん中で裂け、もんどりうって草の上に落ちた。夫がその写真を娘に送ったら、父が怪我でもしたかと、娘はびっくりして電話をしてきた。
庭は我が家の物だけれど、ハンモックは娘の家族の持ち物なので、少し気になったのかも知れない。心配したのがハンモックの方でなくて、父の身体の方で大変良かったと思った。
私の方は、今日久しぶりに庭の手入れや、ガラス磨きをしたら、気持は柔らかくなったけれど、身体が疲れてしまった。
そう言えば、実家にいた頃、一週間位通ってくる植木屋の親方が、縁側に座っては毎日長い間松の枝ぶりを見ていた。母はあんなに毎日見なくても、さっさとすれば五日ぐらいで済むのに、と不満気だった。でも、考えてみると、あれは身体のことを考えて植木屋さんならではの知恵だったかもしれない。