晩鐘の余韻に風の薫りけり

 一枚の写真がある。川のほとりの草むらにどこかの大きな犬と私。場所はモンブランの麓の村だったと思う。折しも夕方の風にのって、教会の鐘がなっていた。少しはなれていたから、ぼーっとして聞いていたら、その犬も身じろぎもしないで耳を傾けている。6月の風は香しく、この犬はこの新緑の匂いも解っているのかもしれない、と思われた。
 ところで、もう逝ってから、ずいぶんたつ犬の次郎は今頃かの世でどうしているのだろう。芝生で横になってはすぐ眠ってしまった黒い大きな犬はいつも家族の話題に出る。思い出は美化され、ボールペンを呑み込んだり、ガス管をかじっていたエピソードは忘れられ、賢い犬だったということになり、気性の良さは私より数段高く評価されている。。
 そういえば、しつけ学校に預けたので、ほとんど吠えなかった。そのかわり、きっと、耳の贅沢をしていたのかも知れなj。教会の鐘の音や、子供たちの笑い声、礼拝堂から聴こえる讃美歌を聴いていたかもしれない。
 写真の犬もわが家の犬もなにかの縁で、ひとときや、一生を友にしたと思い、しばし写真の世界に入った。