笑ふたび太る子どもや草の花  はるみ

 1昨日長野から戻った東京は蒸し暑かったと言うのに、今日は10月なかばの気温。こよみの上の夏はとっくに終わっているけれど、この違和感は何? つい、この間まで、長野では芙蓉が日ごとに真っ白な花や底紅の花を咲かせ、野菊が咲き乱れるていたのに、折からの台風15号のせいで、東京のマンションの玄関には欅の落葉がたくさん落ちている。蟬の声も魔法のように、消えてしまった。
 私に来年は来るのかしら、と思うようになって、何年になるだろう、たしか、ガンジーの「永遠に生きると思って学べ」と言う言葉があったけれど、それは凡人には少し難しい。数日後の句会に出す句さえ、ようやく、、、という有様で、学ぶ域には達していない。少し今日は八月の終わりのゆううつの気分。
 去年の11月から俳誌の編集を引き受けるようになって、仕事のためにさく時間がかなり多くなった。事務所に行かなくても、原稿依頼のための電話のやりとり、各種の礼状、詫び状、などのためにかなりの時間がかかる。
 そんなとき、この近くの保育園の子どもたちのお散歩に出会ったことがある。みんながばらばらにならないように、繩電車のように繩をもって歩いているのが可愛い。と言っても、列をなしているとは言えない。ひとりが笑うとあっというまに、みんなが身をよじって笑う。繩電車はたちまち。まあるくなったり三角になったりする。先生が「広がったらだめでしょ。」というと、何がおかしいのか、もう、笑いに笑う。こんなふうに、秋風の中でこの瞬間も子どもたちは育っているのだろう。彼らに時間はほぼ無限につづくのだから。