端居して松の枝ぶり見てゐたる  はるみ

  少し疲れたなと思うと軽井沢の家に出かける。新幹線に乗ってぼんやり窓の外を見ているだけで身体が軽くなるような気がする。家についたら散歩をしよう、もし、コーヒーの豆がなかったら、近くの「ハルニレテラス」に散歩がてら買いにいこう、などと思っていたら、スコールのような雨になり、車窓も白濁してきた。これでは散歩はおろか、タクシーを降りて、門の鎖を外すだけでも全身濡れてしまう。もう、30分後に降ってくれたら家につけたのにと軽井沢の駅で思案にくれた。
 「そうだ、図書館に行こう」JRのポスターではないけれど、突然ひらめいた。最近軽井沢駅から信濃電鉄で一駅の中軽井沢駅に立派な町立図書館ができた。あそこで新聞を読んでいたら、きっと雨もあがる筈。図書館は駅と直結してどんな豪雨でも怖くない。
 そうこうしている内に雨があがった。雨上がりの高原のみどりは息を呑むほど瑞々しい。家に着くと庭の草がきれいに刈られていて草の香りが雨のせいで強くしている。40年のお付き合いのある植木屋さんが見計らって庭の手入れをしてくれたらしい。顔を合わせるのは1年に1度だけれど、枯葉を片付けてもらったり、伸びすぎた木の枝を詰めてもらったり、軽井沢の四季を上手に管理してくれている。
 実家にいた頃は、植木屋さんの大将というのか気難しそうな老人が縁側にこしかけて、数本ある松の枝振りを眺めていた。一週間ぐらい植木屋さんがはいると、昔は何度もお茶やお菓子をだしたので、「毎年同じ木なのだからあんなに眺めていなくても」と母が言っていたのを思い出した。
 軽井沢の植木屋さんも誰もいない庭のテラスに腰かけて、落とす枝を決めているのかしら。