父の日の雀来てゐる水たまり  はるみ

 子供時代から成長期にかけて、思い出すと恥ずかしい位、典型的なファザコンだったように思う。明治生まれなのに朝食はトマトジュースとオートミール、半熟卵、ハム。寝るときはドイツ製のベッドという、なんというか鼻持ちならない西洋かぶれの暮らしぶりだった。。けれど、子供はよその朝ご飯は食べないから、それが普通と思って育ってしまった。なにしろ、たまに泊まりにゆく従兄弟の家もそんなふうで少し変だと思ったのは、14、5歳の頃だったと思う。
 もちろん、母の作る味噌汁の味は、今でもはっきり覚えているし、京都うまれの母が「今日はお豆さんのいいのがあったから‥‥‥」などといって黒豆をたいてくれたりしたのも、舌が鮮明に覚えてはいる。
 けれど、父を好きなばかりに、西洋かぶれのあれこれに感化されたのに違いない。夏が来ると未だにパナマ帽の人にはっとし、麻服を見かけると、つい目で後を追ってしまう。 
 この間も伊賀上野という芭蕉生誕のに出かけた時、ふと覗いた古い店の奥の柱にパナマ帽がかかっていた。それを見たとたん、父の姿やパイプ煙草の匂いがした。まだ、そんな感覚が自分に残っていたのかと少しうろたえた。
 ある男の方がお母さまが亡くなられた時、「母が亡くなるということを全く考えていなかったんです」と仰った
ことが思い出された。言葉通りにとれば変だけれど、その方にとってのお母さまの存在の確かな感覚なのだと思った。
 もうすぐ父の日、娘たちに取って父のキーワードは何の思い出だろうか。