傾けてガルボになれぬ冬帽子 岩永はるみ

 「ガルボ」ってなんですか? と訊かれたことがある。そうか、「肉体の悪魔」も「アンナ カレーニナ」も見てないんだ、と考えたら、私自身もリアルタイムで見た訳ではなかった。伝説の古い映画を見たいと思って見た事に気がついた。それなら、ガルボは知らなくて当然と納得した。あの謎めいた美女のイメージを共有できないのは、とても残念に思うけれど。
 時代はどんどん変わっていく、かの黛まどかさんの句集『B面の夏』もB面がレコードやカセット・テープの裏の面という意味が解らなくなっているかも知れない。今、レコードプレーヤーのある家はどの位あるだろうか。 
 昔、夫の使っていた携帯電話はとても大きくて重かった。昭和記念館に行った時、歴史の遺品のように展示されていたが、それが今のものは軽くて小さくて、パソコンの用も足してくれる。
 そう言えば「君の名は」というすれ違いのドラマがあったけれど、今では携帯ですぐに相手を見つける事ができる。「少し遅れます」とか、「駅のどこにいるの?」という会話をしながら会うことが出来てしまう。これも10年位たつと、「昔は携帯電話で確認したそうですね」と言われるかもしれない。
 ところで、所属している俳句結社の安立公彦主宰の句に
  日記買ふニコライの鐘鳴る中に
 という、わたしの大好きな句がある。これは日本に来たロシアの宣教師ニコライさんが、神田駿河台に建てた日本ハリストス正教会ニコライ堂の鐘のことだけれど、こちらの名前は若い人にも知られている。