笑ひ声にふくらんでゐる春障子 はるみ

 1年の内、およそ3ヶ月を軽井沢で暮らすようになって、何年になるだろうか。毎年、町役場に「1年で何日こちらに滞在しています」という報告書を出しているが、去年は丁度90日だった。9ヶ月都民、3ヶ月長野県民なのかしら。となんとなく楽しくなった。
 昨日は東京で満開の桜を見ながら3時間ほどテニスをして夜軽井沢に移動した。今朝、目が覚めるとこちらの気温は3度。裏庭にはまだ雪が残っている。この気温の差に対応するのが、健康のもとかもしれない。
 ところで、夏になると、家族の笑い声があちこちの家から聞こえるのに、今は鳥の声だけ。風で折れた木の枝を拾い集めたり、家の周りの石積にからみついた去年の蔦を切ったりしていると、半日があっと言う間に過ぎてゆく。
 ずっと昔は、子供たちが面白がって枯れ枝を集めたり、栗鼠の残した胡桃のからを発見して大騒ぎしていたけれど、今は夫とふたりきり。疲れない程度に庭仕事をして、読書をしてすごす。
 こんな暮しをあと何年続けられるのかな?
 今日の読書は背筋を伸ばして『春燈60周年記念号』を開いてみる。九州の書家、西本完爾さんがフェイスブックに揚げていた万太郎の「三月や水をわけゆく風の筋」に誘われての散策である。
 軽井沢の今日の私の3月である。