囀りの光あつめて散らしけり はるみ

 数年前北京を訪れた。前に『春燈』という俳句誌に書いた事があるけれど、その時の事。
 私はどこの地に旅をしても、朝食のあとホテルの近くを散歩をすることにしている。その時も近くの公園へ歩いていくと、数人の人が鳥籠を持って歩いている。もしや、この先の公園で、パリのように鳥の朝市でもあるのかしら? と思った。
 ところが、公園につくと鳥の市などなくて、それぞれ公園の適当な木の枝に鳥籠をひっかけている。そして、ベンチに座り、持参した新聞や本を読んだり、くつろいでいる。鳥の方はと見れば、これは何の不思議でもない日常のようで、鳥籠の中でちょこちょこ動いたり、囀ったりしている。
 「天気がいいから散歩しましょ」と鳥が誘ったわけでもあるまいが、人も鳥も幸せそうだった。
 それ以来、わが家の木の枝には、鳥のいない鳥籠がぶらさがっている。で、鳥はというと、さまざまな鳥が鳥籠のそばに吊るした林檎や柿を食べにやってくる。籠に入りたがるのは一羽もいないのが残念といえば残念。