一枚ずつ賀状くりをる夜更けかな はるみ

 このお正月の2日、小学校の同級生がひと足さきに、あちらの世に旅立った。病気が解った時は手遅れだったと聞いて、みんなの中で一番元気そうだったのに、と思ってもせんないことを思い、ふと、年賀状の箱を開けてた。やはり、その人の年賀状はなかった。11月からその時の近いことを知っていたのだから、もしやと思うほうがおかしいのだけれど、同級生の何人かは、同じことをしたかもしれない。
 そのこととは別に、東日本のあの時以来、すこやかな、何事も無い毎日が奇跡のように感じられる。
 この、お正月も軽井沢の家で過ごした数日は夢のようとさえ言える。庭の雪を積み上げて、橇ですべる子供たちの姿、雪合戦の声、大勢で囲む食卓、それらが、宝物のような時間だということを、改めて思った。
 娘や子供たちは来年も再来年も、あんなふうに笑っているかもしれないけれど、私や夫はいられないかもしれない。もちろん、明日は輝かしい日にしなければと思ってはいるけれど、明日のことは解らない。とにかく、今日を大切に、今日と同じ明日は無いのだから。
 そう思えば、本当はちょっとうるさい子供たちの声も小鳥の声のよう。