遠き世の楽の音洩るる貝合せ はるみ

 机の抽出に忘れていた父のパイプを見つけた。手のひらに乗せてみたが、もう煙草の匂いは消えている。けれど、そのブライヤーパイプを見たとたん、パイプ煙草はもちろん、時折喫っていた葉巻の匂いまでありありとした。
 机のそばに飾ってある父の写真は、商社に勤めていた頃のパスポートのもの。若き日の父がなにやら決意しているような太い眉と大きな目をしてこちらを見ている。父のあつめていた画集。本の背表紙が思い浮かぶ。
 そう言えば、ラベルの美しさと木箱の焼き印に惹かれて、葉巻の箱を宝箱にしていた時もあった。もう宝箱を持つ歳ではないが、この季節の私の宝物は、源氏物語を描いた大ぶりの貝合せ。夜半、十二単衣の女人の琴や横笛の音が聞こえる気がする。